2025年6月20日
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はじめに
フィリピン・パンパンガ州マバラカット。この地名を聞いて、多くの人は第二次世界大戦中の神風特攻隊発祥の地として記憶しているかもしれません。確かにこの場所は、1944年10月に関行男中尉率いる敷島特別攻撃隊が出撃した歴史的な場所です。
しかし、私たちはこの地で新たなAI・コンピューティングビジネスを立ち上げることを決意しました。この決断の背景には、実は苦い経験があります。

フィリピン・ルソン島におけるマバラカットの位置関係
失敗から学んだ教訓
2014年、私たちはネグロス島ドゥマゲテでコンピューティングビジネスを立ち上げました。美しい大学都市であるドゥマゲテは、優秀な人材と穏やかな環境に恵まれ、理想的なスタートアップの拠点に思えました。6年間、着実に事業を成長させ、地元雇用を50名まで拡大し、地域のIT産業発展に貢献してきました。
しかし、2020年のコロナ禍がすべてを変えました。国境封鎖、都市封鎖、そして経済活動の停止。私たちのビジネスモデルは一夜にして破綻し、涙を飲んで事業撤退を余儀なくされました。多くの優秀なスタッフを解雇しなければならなかった時の無力感は、今でも忘れることができません。
この痛烈な失敗体験こそが、なぜ今マバラカットを選んだのか、そしてなぜこの歴史的な場所での再挑戦に意味があるのかを深く考えさせられるきっかけとなりました。

ドゥマゲテでの事業展開の思い出
歴史的意義の継承と転換 - 再起への決意
マバラカット東飛行場跡地に建つ平和記念碑には、「神風現象が二度と起こってはならない」という強いメッセージが刻まれています。ドゥマゲテでの事業失敗を経験した私たちにとって、この言葉は特別な意味を持ちます。
事業の失敗もまた、一種の「破壊」でした。しかし、戦争による破壊と違って、ビジネスの失敗からは学びと再生の機会が生まれます。この場所で技術ビジネスを始めることは、過去の破壊的な歴史からの教訓と、私たち自身の失敗体験からの学びを統合し、真に持続可能で地域に根ざした事業を構築する決意の表れなのです。
AIとコンピューティング技術は、適切に活用すれば医療の向上、教育の普及、災害予測など、人命を守り生活を向上させる力を持っています。戦争の悲劇が刻まれたこの地で、平和構築に貢献する技術を育むことこそが、真の意味での歴史への敬意なのです。

マバラカット東飛行場跡地の平和記念碑
地域経済への革新的貢献
マバラカット市は現在、主に観光業と農業に依存した経済構造となっています。しかし、21世紀の持続的発展のためには、知識集約型産業の導入が不可欠です。
私たちのAIビジネスは、以下の形で地域経済に貢献します:
直接的な雇用創出: プログラマー、データサイエンティスト、プロジェクトマネージャーなど、高付加価値の職種を地元に提供します。初期段階で50名、3年以内に200名の雇用を計画しています。
サプライチェーンの活性化: オフィス設備、ITインフラ、ケータリングサービスなど、関連産業への波及効果を生み出します。
リスク分散とレジリエンス: ドゥマゲテでの失敗から学んだ最大の教訓は、単一拠点への依存の危険性でした。マバラカットでは、マニラ首都圏へのアクセスの良さを活かし、複数の市場に同時にサービスを提供できる体制を構築します。
危機対応力の強化: パンデミックのような予期せぬ事態に対応できる、より柔軟で堅牢なビジネスモデルを設計しています。リモートワーク体制の整備、多様な収益源の確保、そして地域密着型のサービス展開により、外部ショックに耐えうる事業基盤を築きます。

マバラカット・クラーク経済特区の現代的な発展
教育革命の起点
フィリピンは優秀な人材に恵まれていますが、最先端技術教育の機会が限られているのが現状です。私たちのビジネスは単なる営利企業ではなく、教育機能を併せ持った社会貢献企業として位置付けています。
技術教育プログラム: 地元の高校生・大学生を対象としたAI・プログラミング教育を無償で提供します。
奨学金制度: 優秀な学生には海外研修や高等教育の機会を提供し、将来的に地域に還元できる人材を育成します。
産学連携: 近隣の大学と連携し、実践的な研究開発プロジェクトを推進します。
これらの取り組みにより、マバラカットを「フィリピンのシリコンバレー」として発展させる基盤を築きます。
平和記念碑との調和ある共存
「歴史的な場所でビジネスを行うのは不適切ではないか」という懸念があることは理解しています。しかし、私たちは記念碑の意義を損なうのではなく、むしろ強化する存在でありたいと考えています。
平和技術の開発: 災害予測AI、医療診断支援システム、教育支援プラットフォームなど、明確に平和構築に貢献する技術に特化します。
記念碑の維持・管理支援: 企業の社会的責任として、記念碑とその周辺環境の維持管理に継続的に協力します。
歴史教育の推進: 社員教育の一環として、この地の歴史を学び、平和の重要性を共有する文化を築きます。

平和記念碑に刻まれた歴史的メッセージ
平和記念碑の碑文(日本語訳)
神風 東飛行場平和記念碑
この場所は第二次世界大戦中、最初の日本の神風飛行場であったマバラカット東飛行場の中央正面です。1944年10月20日、大西瀧治郎中将がルソン島パンパンガ州マバラカットで神風特攻隊を創設しました。最初の志願者は、当時マバラカットに駐留していた坂井猛夫大尉指揮下の第201航空隊、帝国海軍航空隊の23名の飛行士でした。最初の神風部隊は関行男中尉指揮下の敷島特別攻撃隊と呼ばれました。この部隊は4つの編隊に分かれていました:敷島隊、大和隊、朝日隊、山桜隊。
1944年10月25日午前7時25分、関行男中尉率いる敷島隊がマバラカット飛行場から出撃しました。彼の部隊には中野岩雄軍曹、野中勇軍曹、永峰肇一等兵曹、大黒繁男二等兵曹がいました。同日午前10時45分、レイテ湾近くの敵目標に突入しました。関中尉の機が最初に命中し、米空母セント・ローを撃沈、20分後に沈没させました。関中尉の部隊はまた、米空母カリニン・ベイ、キトカン・ベイ、サンガモン、サンティー、スワニー、ホワイト・プレインズにも命中し、大きな損害を与えました。この最初の成功した神風任務は、第201航空群のC/W西澤廣義(日本最高のパイロット)から、セブ航空基地の中島忠中佐に報告されました。戦史家は関行男中尉を「世界初の公式ヒューマンボム」と見なしています。
注記:
マバラカット観光局(MTO)は、神風の美化ではなく、諸国民間の親善、平和、友好の促進のために神風平和記念碑の設立を支援しています。この記念碑は、神風現象が二度と起こってはならないことを思い起こさせるものです。
鑑みるに:
- かつて静寂で穏やかだったマバラカットの町が、第二次世界大戦中の太平洋戦域における戦争の年代記に神風現象の発祥地として記録されていること。
- マバラカットの人々が外国勢力と世界覇権をめぐる無意味な戦争に巻き込まれた無実の犠牲者であったこと。
- 神風パイロットの大義と死は、マバラカット住民とフィリピン国民全体を束縛する鎖を断ち切る解放闘争の重要な一部であったこと。
- 神風記念碑の設立は残酷な戦争の恐怖と無意味さを思い起こさせるだけでなく、この地域の観光と歴史感覚を促進する可能性があること。
したがって、1998年10月のクラークフィールド・マバラカット・パンパンガの「世界平和都市」宣言は、国や人種に関係なく、世界中の全人類に永続的で持続的な平和を確保する継続的な努力であります。
署名者:
ガイ「インドラ」ヒルベロ(マバラカット市観光局、第二次世界大戦研究者)
マリノ・P・モラレス市長(マバラカット市、パンパンガ州)
国際協力の新たなモデル
この事業は日本企業主導ではありますが、真の意味での国際協力プロジェクトとして設計されています。日本の技術力、フィリピンの人材、そして世界各国のパートナーシップを結集し、国境を越えた価値創造を実現します。
過去にこの地で起きた国家間の対立を乗り越え、技術を通じた平和的協力の象徴的な場所とすることで、21世紀の国際関係の新しいあり方を示すことができます。
おわりに
マバラカットでのAIビジネス立ち上げは、単なる事業展開ではありません。それは歴史への敬意、地域への貢献、そして平和な未来への投資なのです。
戦争の記憶が刻まれた土地から、平和と繁栄の技術が生まれる。その象徴的な意味こそが、私たちがこの地を選んだ最大の理由です。批判や懸念があることは承知していますが、結果をもって私たちの真意をお示ししたいと思います。
歴史を忘れず、しかし過去に縛られることなく、より良い未来を築く。それがマバラカットから始まる私たちの挑戦です。